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biscuit notes

Spotifyプレイリストとか音楽のもろもろをつらつらと

[2021.3.4]山中さわおソロツアー NONOCULAR VIOLET TOUR@恵比寿LIQUIDROOM

 
山中さわおさんという、50過ぎだというのに去年50曲近い作品を世に送り出した狂人が居まして。そんなお方のライブを見た感想と、最近自分が思っていたことと、色んなものが入り混じった内容をどうしても纏めておきたくここに残します。正直ライブレポ感薄いですスミマセン。



 10年以上前に社会人の仲間入りを果たし、その社会人生活のなかで自然と刷り込まれていたのが「会社として、個人として、持続的に成長していかないといけない、変化する時代に対応していかないといけない」ということでした。そうしないと今の社会で生き残ることが出来ないですし、厳しくも正しい言葉に思えます。

 この言葉に、数年前から徐々に違和感を覚えるようになってきたのは、ちょうど自分が今まで仕事で培ってきた構造解析技術が所謂「枯れた技術」とされ、IoT、ビッグデータ、ディープラーニングなんて言葉がメインストリームに躍り出てきた時期。当然、そういった「新しい技術」を学ぶべきだとは思うのですが、なんとなく言葉に出来ない嫌悪感みたいなものが自分のカラダを支配してきたのを憶えています。大げさに言えば取り残されたような、「時代も背景もそぐわない遺物なんだと思い知った(「雨上がりに見た幻」より引用)ような。結局は自分の頭が悪いだけなんですけどね。

 でも、今までやってきた構造解析の仕事って結構自分には合っている、しっくり来ているという感覚があって、この仕事を時代のせいにして簡単に手放したくないという思いもありました。そりゃ今や構造解析なんて、専任者じゃなくても設計者でも誰でも簡単に出来んですけど、他の人の解析見てると「おいおいちゃんと理解して条件設定してるの?」とか偉そうなこと言いたくなっちゃうときがあるんです。「枯れた技術」の割には詳しい人以外にはほぼ理解されてない。そんな状態のまま、闇雲に「新しい技術」を追いかけていかないといけない。あのとき感じた嫌悪感は、そういう世の中に対する敵意だったのかなと、今になって思います。


 2020年は、コロナウイルスによって時代が大きく変えられてしまいました。音楽業界だけで言えば、予定されていたライブやフェスが軒並み消滅。夏の終わりくらいから徐々に有観客でのライブが戻ってきたものの、今なお人数制限など設けられており、すべて元通りになるにはまだまだ時間が掛かりそう。一方で様々なライブが「配信」という形に変化していくことに。配信でライブを見るのは確かに気楽だし便利だし、正直「2020年に配信技術があって助かった」とさえ思ってはいるけど、それでもやっぱり生で見るライブとは別物だと実感したのも事実。

 ところが世の中的にはいまだライブハウスという密閉空間への悪いイメージがこびりついているのか、配信でのライブを「新しい生活様式」として無理やり押し付けようとしてくる輩も居たり。そもそも最初ライブハウスで感染者が出たときも、100人近く入ってたなかの数人しか感染してなかったのだから密閉空間よりも大きな要因があったはずのに、「誰かのせいにしたい病」のメディアや政治家の格好の餌食にされたのがホント最悪。今は飲食店と若者(そもそも20代30代は若者なのか?ただの働き盛りだろ)に責任なすりつけようとしてるし、こんな奴らのせいで、科学的検証も無いナントナクの印象だけで植え付けられた悪意のせいで、今までのライブ文化が潰されてなるものかと、手にしていたものを失いそうな今の自分と僅かに重なる部分を感じながら余計に憤っていたりしています。


 the pillowsのフロントマンでもあり、横アリでの30周年ライブ以降はソロ活動に専念中の山中さわおさんも、この状況下でだいぶまいってしまっていたようで。かれこれ20年以上the pillowsを聴いていますが、彼らは常に「曲を作って、CDを出して、お客さんの前でライブをして」というミュージシャンとして至極真っ当なルーティーンで動いてきていていました。それが突然、ソロ名義の作品『ELPIS』を引っ提げたツアーを中止にさせられ、「降って湧いたペナルティ(「サナトリウムの長い午後」より引用)がごとく音楽をプレイできなくなることに。数か月前に見たインタビューだと怒りの感情が強めに書かれてたけど、ライブのMCで話してた感じだと憔悴しきってた状態だったのかなと。

 配信でのライブもうまくやれる気がしないと思ったさわおさんは、こういう時だからこそといわんばかりに大量に曲をつくっては、後輩の仲間たちとスタジオに籠り、作品を量産していきます。コロナ以降につくられた作品に限定しても、本人名義でアルバム1枚とミニアルバム1枚とEP1枚、元ふくろうずの内田万里さんと組んだ「さわおとまり」名義でのEP盤、a flood of circleの佐々木亮介さんと組んだ「山中さわお&佐々木亮介」名義でEP盤、これにコロナ前につくられていた作品たちも足すと、2020年には50曲近くの作品を世に送り出したことになります。ちなみに今年もすでに怒髪天と「山中さわお&怒髪天」名義でEP盤を出してます。個人的にさわおさんは割と多作家だと思っているのですが、そんなさわおさんですら「この年になって過去最高記録」と言うほどたくさん曲をつくったとのこと。

 「有観客ライブ」というルーティーンのひとつを奪われて、残された「曲を作って、CDを出す」という行動に打って出ることで、音楽をやっている人間としての尊厳を守りたいという、ミュージシャンとしての本能がそうさせたんじゃないかと推察しています。同じように2020年に良い曲をつくった人たちは数多と居ますが、ここまで異常なレベルで量産していったのは、もはやアレルギー反応にも似た防衛本能とすら思えてならないし、信用ならない音楽業界へのアンチテーゼにも感じました。楽曲一つ一つを見ても、これまでのソロ作品以上に内面的な部分が色濃く刻まれていて、特に「アインザッツ」最後の「God bless me!」と叫ぶ歌声の悲痛さは、少なくとも過去のCD音源では聴いたことないほど。



 独りになって どんなに苦しくても
 オレは死ぬ日まで 他の生き方は知らない
 God bless me!



 「こういうときのライブは見に行った方が良いよ」と、知り合いの音楽的に信頼と尊敬の念を抱いている方からアドバイスをいただき、色々不安でしたがツアーファイナルの恵比寿リキッドルームへ向かうことに決めたのは、チケット完売手前の今年2月のこと。そこからどうにか感染することなく健康体で当日を向かえることが出来ました。

 既に私自身は去年12月にCLUB QUEでライブ解禁していたものの、目当てのバンドが出てた30分以外は基本椅子に座っていたので、2時間ガッツリ立ったままでのライブ観賞は下手したら1年半振り?前述の通り、客数はフルキャパの半分以下という呪いのような規制もあり、立見エリアはガムテープで60cm×60cm程度の正方形に区切られ、ライブ中は基本そのエリア外に動いてはいけないことに。この狭さに何の意味があるのか全く分からないけど、そう考えると、いかに普段ライブハウスが人を密集させているかというのを改めて感じました。あと、自分含めかなりの人が荷物を持ったまま立見エリアに来ていたので、コインロッカー分の儲けはだいぶ減りそうだなと要らぬ心配もしたり。

 で、肝心のライブの中身。正直ちょっとだけさわおさんを心配してたんですが、まあなんてこたあない、相変わらず元気なライブ大好きおじさんでしたね!w 長いことライブしてなかったし、少なからず衰えが見えてしまうのかと思ったけど完全に杞憂。普段と同じくらい計23曲(アンコール含む)のセットリストで途中で声が出なくなるなんてこともなく、返しのアンプに乗ってギターを銃のように構えるいつものあのポーズも普段以上にやってくれたりと、とにかく元気。若手のサポートメンバーも(真鍋さんシンイチロウさんと比べて)非常にアグレッシブなんですが、50過ぎのおじさんも負けてない負けてない。この人はホント、音楽さえあればライブさえあれば無敵な人ですわ。

 もちろんライブを待っていたのはさわおさんだけでなく観客もそうで。特に印象的だったのが、曲が終わってMCまでの間、普段より明らかに拍手がなかなか鳴りやまなかったんです。さわおさんもさすがにツッコミ入れてましたね。「まあ数少ない愛情表現だからな(いちおう歓声NGだったので)」と理解を示してくれたり。こういう状況下だから生まれた奥ゆかしいシーンでしたね。

 セットリストは最新アルバム『Nonocular violet』を中心にしつつ過去曲もまんべんなく、ライブ映えする曲が多い2013年リリースの『破壊的イノベーション』の曲はちょっと多めだったかな。ぶっちゃけ聴き込み度で言ってしまうと、the pillows>>さわおソロなのですが、ソロ曲も良い曲いっぱいあるなあというのは、今回改めて思わされました。特にthe pillows休止してた頃の「Answer」とか「HEAVEN'S PINHOLE」あたりは格別。この頃は、メンバー内にあった飽和状態を打破すべく「the pillowsと寸分違わない曲をあえてソロ作でやるという禁じ手が、逆にthe pillowsへのカンフル剤になるはず」と意気込んでいた時期なので、決して楽ではない苦しいときだったはず。ただ、さわおさんの言葉を借りて言えば、それはあくまで「音楽ができている前提」での苦悩だったと。

 1回目のアンコール終了後、さわおさんはいつになく情緒が安定しないままに、観客に対して素直な感謝の気持ちを伝えてくれました。音楽を奪われてしまった日々の話、そんな中たくさん世に出したCDを買ってくれたこと、自身主催のデリシャスレーベルを心配してグッズとか色々買ってくれたことへの感謝、ツアー初日にお客さんの顔を見たときに自然と顔がほころんだ話など。かと思えば照れ隠しなのか、感謝の言葉の後にぼそっと「…ウソ。」とか言っておどけてみたり、そういうところも相変わらずですわ。

 そして最後に、この状況下について触れ、ちゃんと自分で調べて考えた上でという前置きの後、「俺はやりたくないことは絶対にやりたくない。絶対にだ。そしてやりたいことはやり続けたい。絶対に。それを、見届けてほしいんだよ。今日はありがとう。」と言ってステージを去っていきました。やりたいことをやる、やりたくないことはやらない。シンプルだけど難しい。でも、日々変わりゆく世の中で、どんなときも強く生きていくために必要なのは、こういう気持ちなのかなと。ステージ上のとにかく元気なさわおさんの姿を見ると、なおさらそう思えてきちゃいました。どんなときも、強くあらねば。

 良いライブに行けて本当によかった。背中を押してくれた知り合いの方に感謝です。



 

 ライブでの発言等は正直うろ覚えなので、その点はご容赦を。ナタリーのライブレポも一緒にどうぞ。あと、1回目のアンコール終わりにあんだけのこと言った刹那、2回目のアンコールで戻ってくるなり「家の洗濯機が壊れて…」とか言い始めて、以前iP〇dが壊れたときに「ただで返品すると思うなよ、お前を床にたたきつけ(以下、自主規制」と脅したら直ったので、冷蔵庫も同じような感じで脅したけど直らなかったという、毒っ気満載のしょうもない話があったこともあえて記載しておきますw

 自分にも多少なりとも考えがあるので、さわおさんのコロナに対する考えは自分と100%同じということは無いです。ただ、さわおさんも「見届けてほしい」と言っていたように他人に強制する気は一切なく、それぞれのスタンスはともかく「自分の音楽を守るための闘い」を見届けてほしいということなんだと思います。根拠のない偏見や固定概念、妙なプライドなら、そんなものは捨てたほうがいい。だけど、本当に必要なものは、時代のせいなんかにして簡単に捨てちゃいけない。今までもそうだったように、これからもさわおさんの音楽を見届けていきたいです。


 近年、バンドやロックンロールそのものが「枯れた音楽」と扱われていることが多いように思います。ヒット曲らしいヒット曲もないのは確かにそうですし、DTMという誰でも出来る「新しい楽曲作成方法」が主流の今、わざわざ楽器を抱えて音を鳴らすやり方を古臭いとされてしまうのは仕方のないことなのかもしれません。でも私には、バンドをバカにする人間に限ってバンドが奏でる音楽の多様性を知らない、無知な状態で我が物顔で大口叩いているようにしか見えません。何も知らない人間が勝手なこと言って潰しにかかる、嫌な世の中だこと。

 とにかく苦境のバンド界隈。それでもバンドそれぞれの考えでもって活動を続けていて、我々としてはその姿を見届けていく、ライブ行ったりグッズ買ったりして課金する、それが出来ることの全てなのかなと改めて感じる日々です。今年はめっちゃライブ行くぞ!奪われた日常を取り戻すぞ!



 行こうぜ 心を奪い返しに行こう
 秘策も武器もない それでいい
 失うモノもない



 さて、自分自身はこれからどうしていこうか…そこはもう少しよく考えてみようと思います。
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コメント

1. 無題

最近楽しみにしている記事。既知かな。
https://www.1101.com/n/s/band/index.html

2. Re:無題

>あだちさん
おーこれは知らなかった、情報ありがとです!
時間をみてゆっくり読みますわ

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