1994年にリリースされた小沢健二の2ndアルバムにして、70万枚以上売り上げた彼の代表作。のちに『超LIFE』なんていう、当時の貴重映像とともに著名人・ミュージシャンがこのアルバムの素晴らしさを語り尽す(しかも曲順に!)DVDが本アルバムの20年後に出来上がってしまうほど、あらゆる人から今なお愛されている名盤。しかし、そんなアルバムを自分が手にしたのはリリースから随分経った2000年、地元のHARD-OFFのジャンク品売り場。値札には200円と書かれた品だった。
もちろん、小沢健二という存在は知っていた。もともとはCorneliusの小山田圭吾とフリッパーズ・ギターを組んでいたが、その後解散しソロになったというのは姉伝いに聞いていたし、全盛期にはよくテレビ番組に出てて、「うちには書庫がある」とか「塾とかいかずに東大」とか、なんか自分にはない価値観のひとだなあ...と感じつつ、なんとなく「小沢健二という人は、良い曲つくるなあ...」と、ぼんやりとは思っていた。それでも当時は中学・高校と、自由にお金が使える時期ではなかったし、「テレビで見れるし、別にいっか」という意識が働いたのは確か。
その後、しばらくしてテレビで見る機会はなくなり、1998年にシングル「春にして君を想う」をリリースしたのち、彼は一度、表舞台から姿を消した...というか、何のアナウンスもなかったので、消していた、と言った方が正しいか。「春にして君を想う」という曲の、縁側でお茶を飲むような穏やかさと枯れた感じが、人々の記憶からゆっくり自然に消えていくのを助長させたのかもしれない。
そのため、自分がHARD-OFFで『LIFE』と出会ったときには、熱心なファンを除く人々の記憶からはおおむねデリートされていた頃だった。ちなみにその時もまだ自分は浪人生で、相変わらず自由にお金が使えない状態だったので、よく中古屋さんに行っては1000円以下のCDを買ったり売ったりしていた。なので、買った当初はそういった中古CD群と同じ感覚で、「おっ、懐かしいから聴いてみよう」ぐらいの軽い気持ちでしかなかったはず。
そんなアルバムが、ここまで大事な存在になるとは思いもしなかった。今思えば当然のことだけど、テレビで「聞く」のと、CDで「聴く」のとでは全然違うことを、このとき教わったのかもしれない。曲うんぬんもあるのだけど、何より聴いてて心地よいこの感じは何だろう!?てな具合で、買った当時からしばらくは、かなりの頻度でリピートした記憶がある。
いま改めてアルバムを聴いてみると、パーカッションの小気味良さとかハープの美しさとか、多種多様な音色がありながら、それぞれの音が曲に寄り添うように必然性をもって配置されているように感じる。たとえば「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」でのドラムの音は、常にスネアの音が聞こえるわけではなく、必要なときにちょこっと現れては場を盛り上げるように叩かれていたりと(個人的には、青木達之さんの奏でるドラムの音がすごく好きだった・・死んでしまったのが本当に悔やまれる・・)、とにかく聴いてて無駄だと感じる音がない。そのおかげなのか、どの曲も音と音のあいだに聴き手が入っていけそうな隙間のようなものを感じる。その隙間にこそ、心地よさが宿っているのかも・・。ギチギチにふんだんに音とか情報が入った曲も好きではあるんだけど、それはどちらかというと、曲と一緒に心が高まったり盛り上がったり…という感じで、さすがにそればっかりだと疲れてしまう。こういう隙間を感じられる音楽は、常に心のどこかに留めておきたい、そう本能が反応しているように思う。
もともと「ぼくらが旅に出る理由」という曲がすごく好きで、高校時代はカラオケでもよく歌ってたんだけど、歌詞に関しては正直よくわかってたわけではない。
遠くまで旅する恋人に あふれる幸せを祈るよ
ぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり
誰もみな手をふってはしばし別れる
大人になった今でも、歌詞の解釈という点ではかなり怪しい。基本的に小沢健二の歌詞は、何か具体的なテーマを掲げていたり、聴き手に「こう解釈しろ」と強要することはまずない。なんとなく感じる日常の空気を、本人の解釈のもと紡がれた言葉でもって表現している印象。「あの曲は何を指し示しているか」と、様々な人がそれぞれがブログ等で綴っていたりするが、結局のところは本人にしか分からないんじゃないだろうかとすら...。自分なんかは
「で、結局なんで旅に出るんだよ」と今なお思っていたりする(苦笑)。「ぼくらが旅に出る理由」というタイトルにしておきながら、理由なんてどうだっていいのかってくらいにそこらへんの情報は何もなく、謎の解明は聴き手それぞれに委ねられることとなる。そういったところにも、聴き手がいくらでも想像を膨らませられる要素、言ってしまえば隙間のようなものがあるのかなと感じた。相手の説明をただただ聴くだけの受動的な歌詞ではなく、聴き手が主体になれる歌詞なのかもしれない。
他にも、「いちょう並木のセレナーデ」のように
「夜中に甘いキスをして」と歌ったあとで何者かの
「ヒューッ」という合いの手が入る、なんていう遊び心もあったり。「ラブリー」「今夜はブギー・バック(nice vocal)」など有名なシングル曲も多く収録されているけど、それだけじゃない魅力が、このアルバムには詰まってるように思う。それはきっと、音楽的な素晴らしさはもちろんのこと、聴き手のことを最大限に尊重し、楽しませたりほろっとさせたり、聴き手の心に寄り添うものをと思ってつくった作品である、というところにあるのかなと、今なんとなく結論づけてみた。
活動してなかった期間もあった小沢健二だけど、ある時期から中・小規模ながらライブ活動等を再開していて、今年もライブツアーがスタートしたようです。一度は生で見てみたいなあと思いつつ、なかなか当たらなかったりで見れない実情。もっと大きなところでやってほしいけど、自分のペースを崩すことはやりたくないんだろうなあ、きっと...。まぁ焦らず急がず、死ぬ前に一回見れればいっかなあくらいの気持ちでいこうかなと。
(公式動画がないので文章だけで見にくくてすいません。Youtubeとかで探せば色々転がってるので、興味があれば漁ってみてください。)